母のような二番目の兄

末っ子には、父だけがいる。


そのことについて、末っ子は、

特に思うことはないみたい。


はじめっからそうだったから、

いまさら思ってもねぇ、となる。


けれど、二番目の兄を見ていると、

おかあさん?ってなることが、よくあるみたい。


二番目の兄が、おかあさんを

しているわけでもないのだけれど、


ただ広くて深い愛を、末っ子に、

そのまま注いでくれている。


末っ子は、末っ子が、

まだ子のようでもあるのだからねぇ。


おかあさんが、

どのようなのかが、わからない。


末っ子が、たとえ

おかあさんになっているとしても、


答えを見つけられているかどうかは、

謎なのだけれど。


でも、二番目の兄のことは、いつも、

おかあさんのように感じられてしまう。


末っ子は、小さい頃から、

ひとりの時がよくあってね。


まだ幼いのだから、まわりに、

誰かがいてくれてはいたのだけれど。


けれど、その誰かは、

父でも、一番目の兄でもなくてね。


それでも、必ず、二番目の兄が、

末っ子のとなりを守ってくれていてたんだそう。


父も、一番目の兄も、(仮)みっちゃんも、

末っ子に愛がないわけじゃない。


(たぶん、愛は重い?)


ただ、そばにいられない、

そういう時があっただけ。


末っ子は、そう思っている。


けど、父には、(仮)みっちゃんには、

そう思えない時がよくあるみたいで。


ほんと時々だけれど、

末っ子を見つめてくる時に、


そのひとみから、

深い悲しみを感じてしまうんだそう。


そのたびに、末っ子は、

もう大丈夫、と、伝えるのだけれど。


まだもう少し

時間が必要なのかもしれない。


ひとりの時がよくあった日々には、

なぜか二番目の兄がとなりに座っていて。


にっこりと笑ってくれていたんだそう。


まだ大人になっていない、

まだ幼いを帯びている顔に、


大きくて丸い目がほほ笑む時の

二番目の兄は、


とってもかわいかったのを

末っ子は、覚えている。


お嫁さんは、こういうタイプがいいよねぇ、と

今は、そう思えたりするのだけれど。


末っ子が、まだ幼い末っ子の時には、

二番目の兄は、まるで、お日さまのようだった。


丸くてあたたかい、手に届く、お日さま。


だから、さびしくても、さびしくなかった。

末っ子は、そう思っている。


多少は、大きくなっている末っ子の時でも、

末っ子が、ひとりぽつんといる時には、

必ず、となりに二番目の兄がいてくれている。


エスパか?となるくらいに、

となりにいてくれて。


時々怖いなぁと思うこともあるけれど。


それでも、二番目の兄の

深くてやさしい愛を感じてしまう。


末っ子は、幸せだなぁと思いつつも、


こうだから、

ほかを見つけられないのかもしれないと、


ため息とともに、ふと、

そう思えてしまうのでした。

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